やめるという勇気|『頑張る』と『我慢する』を同じ意味で使うのは やめようよ
また一人、若い女性が、自ら命を絶ちました。大手広告代理店勤務だったと、ニュースで取り上げられています。勤め先が大手だからニュースになっているのでは?という意見も、ネット上で見かけました。そうかもしれない。
勤め先がブラックかホワイトか、その点について言及するつもりはありません。一人の人間が死を選択せざるをえないほどに追い詰められた、頑張った結果としての死、と受け取りました。こう考えると、どこの誰にでも起こりうることではないかと思います。
この記事は、もう同じようなことが起こって欲しくないと願う、私個人の祈りを込めて加筆修正しました。同じ道を選んだかもしれない、一人の人間の、命拾いの記録です。
そして、命拾いしたからこそどうしても伝えたい、危険なサインがあります。
追悼の思いを込めて 2016年10月12日
頑張ってしまう
頑張るということについて、一度きちんとまとめてみたかった。
「頑張る!」とか「頑張れ!」とか言うけれど、頑張るってどういうことだろう? どういう意味で使ってるんだろう?
頑張ればなんでもできるって言うけど、私はほんとにすごく頑張って、体を壊したことがあります。心も壊れかけました。先に体に出たから、心を壊さずに済みました。気づいてもらえなかったら、心も壊れて、死を選んだかもしれないと考えます。飛び降り自殺した、彼女たちのように。
飛び降りる。その瞬間、ぼんやりと心が離れてしまってる。ふと「ここから飛び降りたら楽になれるかもしれない」と思いついた時には、体が倒れていく。地面へと吸い込まれるかのように… そんな経験があります。体が倒れようとした時に、声をかけてくれた人がいたので、飛び降りずに済みました。声をかけられなかったら、我に返ることもなく飛び降りていたと思います。
頑張るって、なんだろう? そうまでしなきゃならないんだろうか? 強く思った最初は、2008年、若い女の子が死んでしまったというニュースでした。『体が痛い。誰か助けて。』そんなふうに書かれたものが遺っていたという。
そうまでして、彼女はなぜ頑張ってしまったんだろう? 私には、わからない。ただただ悲しかったし、今でも本当に悲しい。
そばに、気づいてあげる人がいたら… 月並みな意見でしょうけれど、私自身の経験を振り返ってみて、重要なことだと思います。
頑張ってる自分に気づけない
私のばあい、念のため前置きしますが、勤め先はホワイトでした。私のばあい、私を追い詰めたのは環境の激変でした。事務職から店頭販売へ。デスクワークから肉体労働になり、朝型から夜型への生活。経験もないのに頼る人がいないという環境。38歳でのことでした。まだ体力のある20代だったら、違ったのかもしれません。
おかしいと思い始めたのは、疲れてるはずなのに動けてしまうのに気づいた時。事務職のときだって休日には寝てばかりいたほどなのに、疲労を感じない。そのあとは、真夏にもかかわらずダウンケットをかけないと寒くて眠れないこと。
漠然と、無理がきいてしまうんだなぁと思ってました。できないはずのことを、していました。
ある日、出勤準備を終えソファに座ったら、そのまま動けなくなりました。すごく不思議な感覚でした。体の力が抜けるとか、そういうかんじじゃなく、体が停止してしまったかんじ。ぼんやりと、動けないなぁと考えてました。動けと命令する気にもなれない。ぼんやりとしたまま、あー動けないなぁ、困るなぁ、仕事行かなくちゃいけないのに、どうしよう?と考えていたかんじ。10分ほど座っていたら、立ち上がれました。出勤中に、主人に『さっき立ち上がれなくなった』とメールを打ったらすぐ『休めないの?』と返信をくれました。そして、トントンと休職が決まりました。
私には主人がいたから、異変に気づいてくれる人がいたから、死なず、心を壊すこともなく済みました。
だからこそ、言います。気づいてあげて、ささいな変化に。死の前に、自分では自分のことに気づけなくなってる期間があるから。その前に、気づいてあげて!
危険サインを見逃さないで
上記の頃の危険サインを今考えるなら
- 疲労の蓄積。
- 通常感じるはずのことを感じない。
- やらなきゃならないことだけを考えている。
- 食欲の減退。
- 眠れない。
- 起きられない。
などを思い出します。
みんな同じような働き方をしてる。だから、頑張れないのは自分がおかしいのだと、頭のどこかで思っていました。
でもね、それ違うよ。体力だとか、いろいろ条件は、人それぞれなんだから。その人が頑張ってるかどうか、周りの人にはわからないのかもしれない。伝わらないかもしれない。でも、危険サインが出る前に、どうか気づいてください。
- 義務感
- 責任感
- 他者への思いやり
- 親しい人との関わりの希薄さ
- 逃げるのを許さない環境
こういったものに追い込まれる前に、どうか、生きることを選んで。その仕事じゃなくても、生きてはいける。その仕事を辞めても死なない。辞めなければ、死んでしまうかもしれない。そんな風になる前に。
我慢できなくて、いいじゃない。頑張れなくて、いいじゃない。本当にやらなければならないことは、自分の心と命を守ることです。自分を守れるのは、自分しかいない。
辞めるという勇気を持ってみて
いまだに母からは、働きなさいと言われています。我慢しなさいとも言う。聞き流してます。ほんとうに、どうしても、私にはできないことがある。それを他者は「わがままだ」と言うのかもしれない。一回死ぬようなめにあってみると、人からどう言われても思われても、しょうがないよねと思います。生き方は、選べるんだと思っています。
少なくとも、我慢してがまんして頑張るのはもうやめようよと言いたい。もちろん、頑張んなきゃいけないときもあるだろう。だとしても、自分自身で納得のいく頑張り方をしませんか? ほんとうに望むもののために頑張ろうよ。
いろんな事情があるのは わかる。だけどね、もしこれを、今頑張ってがんばって頑張りすぎてる人が読んでくれてるなら、私から一つだけ質問があります。『本当のほんとうに、そのやり方じゃなきゃならないの?』もしも仮に、別のやり方があるとしたら…?って想像してみてください。
さいごに
追い詰められている人には、独特の雰囲気や言動があるように思います。周りにそういう人がいないかどうか、ちょっと見回してみてあげてください。