雨が降ればいいのに
雨が降ればいいのに。
いっそずぶ濡れになれればいいのに。そしたら、すがすがしいだろう。
古い友人に「あいかわらず真面目で考えすぎ」と指摘された。
ちょっとびっくりした。でも、そうかもしれない。たしかに、そうかもしれない。
雨が降るように、たえまなく…
長所は短所。弱点も強みになる。
まじめさも、過ぎるくらいに考えるところも、私の良さでもある。「生きづらいでしょ」と指摘してくれた友人も、それも知ってる。
働きなんだよ。そのときそのときで、肯定的に働くか、否定的になってしまってるかの違いでしかない。
そぼ降るような、いつの間にかずぶ濡れになってしまうような、霧雨でもいい。
肌に痛いぐらいの激しい雨でもいい。
私は私の真面目さも考えすぎなところも、好きだ。それは私の誠実さだと思ってるから。
好きだから、変わらない。変えないでいるんだと思う。たとえ、自分のその部分が自分を苦しめるように働くことがあるとしても。
天に、顔をあげよう。あげた顔を、雨が打てばいい。
恥ずかしい行いはあまたある。けれど、私という存在はなんら恥じるところもない。だから、顔をあげよう。
疲れてしまって、どうとでもなれと思うことがある。こういうときは「自暴自棄」と言うのだろう。
まっすぐな心もちで、いいようになればいいと思うこともある。こういうときは、ゆだねている。
雨は、冷たいだろうか。
ぐっしょりになった衣服は気持ちが悪いだろう。けれど、水が顔をつたう感触はきっと心地いいのじゃないかと想う。
ゆだねるのは、恐れがあったらできないんだ。信じているからゆだねられる。
何を信じているのか? まず、私自身を。そして、人より大きなおおきな力を。
大きなおおきな力。それを人は気の遠くなるほど昔に「神」と名づけた。
私をよいようにするのは、してくれるのは、神なのだろう。
雨は、神の涙だという物語もあったのじゃなかったか。
涙といっても、悲しみではないのかもしれない。
雨は、慈愛なのかもしれない。そう想うから、降ればいいと思うのかもしれない。ずぶ濡れになりたいと思うのかもしれない。