生きるって時間をつぶすことなんだと思った
春めいてきたからか、外にいるのが気持ちいいと感じる。この私が、と自分で驚いてもいる。
あたたかかくなれば外出したいと、普通というのかわりと多くの人が思うらしい。私にはそれがなかった。少なくとも記憶にある限りは。家にいるのが好きだからだ。
2年ほど前の春だったと思う、突然出かけたくなった。どこへというのではない。あの時も驚いた。我がことながら、人は変わるものだと思った。
ここのところ、実家へ行ったり母とランチをしたりして、出かける機会を得た。
いざ出かけるとなると、あんなにオシャレが好きだったのに、着る服がない。あらたまった場所に履いていく靴もない。
たとえば交通系ICカードなど、ちょっとしたものを忘れて出るようにもなっていた。まるで、出かけ慣れていないかんじだ。20年近くは働いていたのに、だ。
10年のブランクは大きいのだ。
待ち合わせの場所までだったとしても、独りで出かける習慣がまったくなくなってしまっていた。良いでも悪いでもなく、機会がなくなったというだけのこと。働いておらず、友だちづきあいもないとこうなるのだ。
外へ出るのは犬の散歩かスーパーへ行くのぐらいで、出かけるのは主人と一緒。もう10年近くはこんな生活だったのか。
思うところあって、独りで出かける機会を少し増やしたい。
以前は“独りで”というのに抵抗があったのだけど、もういいかもしれない。
元々家にいるのは好きだった。休みといえば外出するような、そんなかんじではなかった。
そういえば、心身の調子を崩して仕事をやめて、外に出るのがこわくなったんだっけ。元々に加えて、そんなこともあって外に出ようとしなくなってたのかもしれない。
そうだ。オシャレする気もなくなって、オシャレしようと思えたのは2年ほど前だった。忘れてた、と思ったんだった。鬱にまではならずに済んだのだけど、もしかしたら、回復に10年近くかかったのかもしれない、とも。
そして今回の禁煙しからメンタルめちゃめちゃになったやつ。2ヶ月近くが経とうとしていて、ようやくおさまってきてる気がする。
こうして頭の中を書き出すのも効果があった。もっとも、書く気になれたからなのだけど。
本当にひどかった。
ただ禁煙を始めただけなのに、なぜこうまでも?だった。タバコを吸いたくてイライラするのならわかるのだけど、あれはなんだったんだろう? 楽しかったことがまったく関心もなくなり、かわいくてしょうがなかった愛犬に対してもまるでなんとも感じなくなった。無気力で何もする気になれなかった。怒りが湧き、悲しいと感じてるわけでもないのに涙が流れた。
生きるって、時間をつぶすことなんだと思った。
死ぬまでの時間を延々とやり過ごしていくだけなんだと。
間違ってはいないと思う。ある意味では正しいんじゃないかと思う。
だけど、なんていうか… なんとも救いがない。希望もない。
生きることに意味をつけなくともいいとは思うのだけど、生きる意味を自分で選び決めてもいいとも思うのだ。私は、最期のときに「これでよかったの」と言うと決めている。だから精一杯をしなくてはならない。自分なりに。
死に向かって時間をつぶしていくだけが生ならば、精一杯時間をつぶそう。
禁煙を始めてから、生きていたくなんてないと思った。無気力が、なのか、何かが苦しくてつらかった。
そんな状態になったのがなぜなのかもわからないし、回復してきているようなのもなぜなのかわからないけれど、ともかくも生きていたくないなんていつまでもスネてないで楽しいと感じられるものを探し始めてる。
人生が何十年あるのかわからないけど、ものすごく長い時間の浪費なのなら、遊びたい。私の生に意味も価値もなくたって、救いはあって欲しい。虚無では生きられないとわかった気がする。