雪明りの静謐
雪が降っている。
スマホのウィジェットがお知らせしてくれた。土曜日には関東地方に雪が降るかもと。
その通りになった。

33階に住んでいる。
室内で座っていれば、窓の外には空しか見えない。しかし、不思議と、雨が降っているのがわからない。見えないのだ。
バルコニーへ出て、柵から地上を見下ろしてみて、傘が見えるかどうか探す。そうして、雨が降っているのを確認している。
窓の外が白かった。
こういうときは、晴れているのとは異なる明るさがある。―――私にはその異なりを言葉で表現することができない。しいて言えば、晴天よりも強くない、柔らかいかんじの明るさになる。
ボイルカーテンをわけて、外をみた。「絶え間ない」かんじで雪が降っているのが見えた。
そして、静謐を感じた。
子どものころ住んでいた“実家”を思いだした。
実家は、3DKの団地だ。両親の部屋と弟の部屋が南側にあり、DKをはさんで北側に4畳半の私の部屋があった。
……なぜ、私の部屋は、弟のよりも狭く北側にあったのか? 覚えていない。自分自身で「そこがいい」と選んだのかもしれない。
北の、私の部屋にだけ、窓に障子があった。
ある夜、障子が光るように明るいのを見た。不思議に思って開けてみれば、窓の外には街頭に照らされる雪景色があった。それを「雪明り」というのだと、知ったのはもっとずっと後。
障子を開けたまま、窓からの冷気をあびつつ、しばし見とれていた。
あの静けさ。
対面には同じ団地の別の棟があるのだけど、まるでひとけがなく時が止まったかのように感じたあのとき。
私の頭や心は、少なくともここ数年はとてもさわがしい。
直面している不安や心配事はもちろん、今はまだ起こっていないしこれから先も起こるかどうかわからない“最悪のケース”を想像している。あるいはもう過去になった出来事を思い出しては、罪悪感や羞恥にかられたりしている。
自分の “今、ここ” でない考えや気持ちに「それはまだ起こってないから今は心配しないでいいのよ」や「それはもう済んだことだから大丈夫、気にしないで」と自分自身に声をかけ続けている。―――そうすると、楽になることもあるのだ。
静謐。
今日、降る雪を見止めたときにかんじた。
頭が考えてることが聞こえず、揺れ動く感情も凪いでいた。その数秒は、とても貴重な体験だった。
「雪明り」を初めて体験したあのときのように。





















ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません