声をあげて泣けたらいいのに
私にももちろん赤ん坊だったとき子どもだったときがあるので、ギャン泣きしたことだってあると思うのよ。
いつから、しなくなったんだろう?
声をあげて泣けたらいいのに
母は私をさして「手のかからない子だった」と言っていた。本当かどうかは、わからない。人の記憶というのは、本人が意図せずとも美化などの加工がされるものだから。
私は泣いたことがあるんだろうか
いつから声を殺すようになったんだろうか
10代で、父に叱られていたときのことを思い出す。
(父は「お前がなんで泣くのかわからない」と言い、その意味はたぶん「泣いてもなんにもならないだろう」なんだと思う。)
ううぅっと泣く私に「声を殺すから目が腫れるんだ」と言った。
だから、そうあのときにはもう声をあげてなかった。
いつだったのかは覚えていないけれど、どこへ行けば独りになれるんだろうと想った。
ああそうか、あれはもう一人暮らしをしていたときだ。
アパートだったし、壁が薄いから隣人の生活音なんかが聞こえて、声をあげて泣けばあちらに聞こえてしまうだろうと考えた。
大声をあげて泣きたいのに
他者への迷惑とか、泣いているのを知られる恥ずかしさとか、そんなことを考えてしまって泣けないってなんだかバカみたいだ。
今はただ泣きたいんじゃないの? なのに、余計なことをいろいろ考えるんだね。
声をあげて泣いたらいいのに
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